昭和四十五年六月六日 夜の御理解


 信心をさせて頂いておると、本当に信心しておればおかげを頂くという事は、不思議な事ではないとおっしゃるけれども、本当に不思議と思わなければならないような事がいつもありますね。
 今日も今の久保山茂さん達が夫婦でバンコクそれから東京の方へ家族で行っております。それで行きがけに、今、飯塚に転勤になっております弟のたかしさんに親先生のおひげをあたるのを頼んで行っとったらしいんです。だから今日わざわざ飯塚からひげあたりに来てくれたのです。まぁ大変な事だと思うんですね。只、ひげだけをあたりに飯塚から。まぁ茂さんがたかしさんに言いおいて行ったという事も有り難いなら、又たかしさんがそれを受けて来てくれた事も有り難かったんですけれども。今日ここ来てお届けをするんですよね。もう本当、感激いっぱいでお届けするのですから。本当に不思議な事があればあるもんだけれども、本当にそこが頂かれるから有り難いなぁといった事でしたけれども。久保山先生が在世中に、十何年前に小さい目覚まし時計をたかしさんにやってあったそうです。ところがそれが使えなくなって、よういち君が幼稚園に行くのに、時計の針を読むとにね、そのおもちゃにくれというから時間を読むのに、稽古するとにくれと言うからやっておった。もう五分おき位に止まる時計だそうです。それをやっておったのが、まぁ夕べたまたま時間に合わせてしてあったところが、今朝丁度目覚ましのおかげを頂く時にベルが鳴って、夕べから動き出してるという訳なんですよ。もう本当に、これは今日の私の合楽行き、親先生のおひげをあたりにやらして頂く事の為に、父がこんなにも喜んでくれとるかと思うたら、それが有り難かった。と言うて、それはね、偶然でもなからなければ、実を言うたら不思議でもない。本当はそういう、例えば親子、兄弟に伝えて、私のひげそりの御用をですね、これだけはもうどんな事があってもという、その一念というようなものが久保山先生から子供達に伝わり、茂さんが又その事を自分が不在の所をわざわざ飯塚からまでも親先生のひげをあたりに来てくれという事を言いおきしていくといったような、そういう一念といったようなものがね、やはり御霊様の働きをそういう事にならしめたのであろう。神様の働きがそういう事になってきたのだろうと、私は思うんですけれどね。本当にわざわざ飯塚からひげをあたりに来てくれたというだけでも有り難いけれども、それがそのような神ながらな真心の中から、それが出来たという事を特に私は今日有り難いと思いましてね。
 今日は私、いつもひげあたってもらってから、してもらう時に寝るんですけれどもね、その事を思いよったら感激してから、とうとう休まれんようにあったですね。こうやってわざわざひげだけをあたりに飯塚から来てくれとる。それがそういうような神様の御霊様の働きを通して、このような事になってきておるという事を思うと、やはり感激でした。とにかく有り難いとか感激といったものは、一人の有り難いというものが、そのように次から次とですね、連鎖反応を起こして有り難いというのは広がっていくものだという事を思います。どうぞ。